27日/28日








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 数年前からグローバライゼーションという言葉が流行っていますが、グローバライゼーションというのは新しい現象ではなくて、植民地主義も、帝国主義もグローバライゼーションだった。ただ、植民地主義帝国主義の時代には、ある意味ではもう少し今よりも正直な側面があったと思います。つまり、これは搾取であるということを、みんなが意識していた。貧乏な国を搾取して豊かになるということは、だいたいの人が分かっていた。あるいは、イギリスやフランス、オランダの人たちが自分をごまかしていたとしても、搾取されるほうは、分かっていた。搾取されることが結果的に自分の利益につながるというごまかしはどの時代にもありましたが、植民地主義帝国主義の時代の人たちが本気でそう思っていたとは思えません。それが啓蒙であると言っても、人々はあまり説得されなかった。
 二十世紀の後半になって、この経済発展イデオロギーが主流になると、それはかなり成功したと思う。イデオロギーとして、搾取される側にも定着した。つまり、本来他動詞であることが、まるで自動詞であるかのような錯覚をあたえることに成功したわけです。
 これを「development 発展」と呼べば、それはまるであたかも、それぞれの文化、文明、社会のなかに隠されていた可能性が解放されるかのようなイメージになる。ちょうど花が咲くような、子供が成長するような、種から木が伸びるような言い方なのです。「搾取」という言葉とはだいぶ違うことを指している。つまり、世界中のあらゆる文化のなかには、産業革命を起こして産業国になる内在的な可能性がある、そういう言い方なのです。
 それにたくさんの人が説得されたわけです。実際にやっていることは、植民地時代とそれほど変わらないにもかかわらず。外から資本が入って、自然を壊し、伝統的な文化を壊し、搾取する。それを「development 発展」と呼べば、それはその社会の、自然で当たり前な、決定された過程であるというように思えてくる。内政干渉ではなくて発展、搾取ではなくて発展、暴力的な変化ではなくて発展。ある文化、ある人々が内在的に持っていた能力を解放するようなイメージになる。

 トルーマンの演説の前と後で、学問においても、ものすごく大きな思想の転換、パラダイム転換がありました。
 それを比較するために、アメリカで出版された『社会科学百科事典』という百科事典の二つの版を比べてみたいと思います。一つは一九三三年に出版されたもので、もう一つは六八年の新しいもの。この二つを比較すると、そのあいだに三十数年しか経っていないとは信じられないほど違うことに驚きます。まったく別の世界、まったく別の時代の事典としか考えられない。
 三三年の百科事典には、先ほども触れたように「underdeveloped 未開発」とか「modernization 近代化」という言葉はまったく存在しない。それらの言葉に該当するのは、「backward country 遅れた国」という言葉だけです。backwardというのは「裏返し」というような意味です。たぶん今の英和辞典では「未開発」というふうに訳されているかもしれないけれど、本来この言葉には、「開発」とか「発展」という意味は入っていませんでした。
 backwardをこの百科事典の索引で引くと、二つの使い方しかない。一つは、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの貧乏な国のこと。もう一つは知恵遅れの子供。だから、知恵遅れというか、発展不可能という意味で使われていた言葉だということが分かります。いわば、「発展する能力がない」という意味です。もちろん、とても差別的な言い方です。
 面白いことに、この「backward country 遅れた国」の項目を三三年の事典に書いた学者は、この言葉に対して怒っている。ひじょうに皮肉っぽい、アイロニーを含んだ文章を書いているのです。

 backwardness(遅れている)とは、人々や地域に対する相対的な用語であるが、その比較の基準が自分たち、すなわち現在小さいながら優勢な西欧諸国であること、その他はすべてそこから派生したもの、あるいは自分たちを模倣するものであることを、初めから暗に想定している。

 そして、「backward country 遅れた国」の定義をする。税金制度を持っていない、労働倫理を持っていない、つまり根本的にその社会を変えなければ、利益的に搾取不可能な国である、と彼は定義しています。根本的に作り直さなければ利益にならない、そういう国をヨーロッパ人はbackwardと呼んでいると。ひじょうに面白い文章です。
 六八年の事典ではもちろん「backward country 遅れた国」という言葉は消えています。国連の時代に、そんな言葉は失礼ということでしょう。それと同時に、批判的な意識も完全に消えてしまった。第三世界の国々の経済成長に関して、そのなかに搾取が隠されているのだということを匂わせるような文章はどこにもなくなってしまいます。
 (C.ダグラス・ラミス著 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』)