26日


 (つづき)
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 「development 発展」という言葉自体が、トルーマンの演説によって変えられた、作り直された言葉なのです。何が変わったかというと、一つには「発展」が初めて国策になった。それ以前の国策では、「発展」という言葉が使われたことがなかった。もちろん、アメリカ政府の政策のなかで、アメリカ国内の商売を進めるような政策はたくさんありましたが、国全体を「develop 発展させる」という言葉の使い方はなかった。このとき初めてアメリカの国策となり、そしてしばらくして国連の政策にもなった。
 もう一つ重要なのは、発展されるというか、発展させられる国は、アメリカ合衆国ではなく、別の国であるということです。
 経済発展政策の対象はアメリカ合衆国ではなく、世界の相対的に貧乏な国です。植民地から解放されたばかりの国か、あるいはまだ植民地になっているような国が対象です。これは今あまりにも当たり前になっているので、どれだけ画期的だったかということを説明するのは難しいのです。
 「国Aは国策として国Bを develop 発展させる(開発する)、それが国Bの development 発展である」ということ。なぜ「作り直された言葉」かといいますと、基本的に、日本語の「発展」や「成長」もそうですが、英語の「develop 発展する」は本来は自動詞なのです。他動詞ではない。だから言葉としてふさわしくないように聞こえます。国Aが国Bの「発展」を政策としているのに、その表現は自動詞ということになって、大きな矛盾です。これはたんに文法上の問題ではなく、とても重要なポイントなのです。
 「経済発展」という言葉のイデオロギー的な力がこの矛盾のなかにあると思います。それを理解するために、「develop 発展」という言葉、そして日本語の「成長」や「発展」という言葉の本来の意味を考えてみると役に立ちます。なぜ日本でも英語の本来の意味が重要かというと、「経済発展」という全地球的なイデオロギーは、アメリカから日本に入ったものであって、思想と同時に、言葉の曖昧さも一緒に日本語の文脈のなかに入ったからです。
 developという言葉を『オックスフォード英語辞典』で調べてみると、developの本来の反対はenvelop、つまり「包む」ことです。たとえば日本語の文脈でいえば風呂敷とか紙に包むといった意味です。developというのはその反対の行為、「ほどく」とか「とく」、つまり紙や布に包まれた何かを出すという意味です。
 ちなみにヨーロッパのほとんどの言語で、やはり同じ比喩、同じイメージが「発展」という言葉のもとになっています。フランス語でdeveropper、ドイツ語でEntwicklung、スペイン語でdesarrolloですが、どれも同じ意味です。「ほどく」とか「とく」というのが本来の意味で、あとはすべて比喩、メタファーです。つまり、何か物に包まれた、紙や布に包まれたものが、だんだん出てくるような変化を指すわけです。
 たとえば蕾が花になるとか、種がだんだん成長して植木になるとか、あるいは子供が大人になるとか。おもに生き物の、生命あるものの成長のことです。それはある段階から次の段階へ変わっていくという変化ですが、基本的に、前段階のなかに、後の段階が何らかのかたちで組み込まれているか、内在されている。だから前段階の可能性が次の段階で実現する、そのような言い方でした。
 日本語の辞書を調べると、やはり同じことが分かります。「成長」というのは「育って大きくなること」。「発展」は「伸びて広がること」。ほとんど同じイメージだと思います。「開発」のほうは「開き起こすこと」と『広辞苑』に書いてありますから、私の日本語の理解では、これは他動詞だと思います。そのような違いはありますが、「成長」と「発展」はdevelopとほとんど同じ基本的なイメージでしょう。
 陶器を作るとき、粘土で形を作ります。粘土をろくろに置いて、作っている人間の頭のなかにある形にする。それを誰も粘土の「発展」とは呼ばない。形が完全に外から与えられるからです。あるいは、木を倒し、木材にして建物を建てる。それも木の「発展」とは誰も呼ばない。これもまったく違う種類の変化でしょう。あるいは、木を倒して薪にして燃やす。それがいいことか悪いことかという話ではなくて、木を灰にするということを、その木の「発展」とは呼ばない。あるいは、森林を伐採して駐車場にする。その場所にまったく別のものを置くこと、それを森林の発展と呼ぶのは間違いだと思います。
 あらゆる変化を「development 発展」と呼ぶことはできない。一種の構造に従うような変化を「development 発展」と呼ぶのが正しい言葉の使い方です。そうでない変化もありうるわけで、たとえば完全に人工的な変化は「development 発展」ではない。
 (C.ダグラス・ラミス著 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』)