23日



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  読み返すメモは、ほとんどが未知のものだったが、ときおり読んだ瞬間に、これは見覚えがあると感じ、たしかにかつて自分が書き、考えたものだとわかることがあった。そういうときは、たとえそのことを考えたのが何年も前のことだったとしても、まるで同じその日に考えたことのように完璧になじみのあるものとして感じられたが、実際にはそれについて読みかえすことはそれについてもう一度考えることと同じではなかったし、ましてその時はじめて考えつくこととも同じではなかった、それにたまたまそのノートを読まなければ、二度とそのことを考えなかったかもしれないのだ。そんなわけで、これらのノートは自分と深い関係があるものだということはわかったが、自分とどう関係があるのかも、それらのうちのどれほどが自分の内から出たもので、どれほどが自分の内ではなく外から来たものなのかも、彼女にはわからなかったし、わかろうとすると苦しくなってくるのだった。それでもノートはそこに、棚の上にあった、自分が知っていながら知らないものとして、読んでいながら、読んだことを覚えていないものとして、かつて考えたことがありながら今は考えていないし考えたことも覚えていない、たとえ考えたことを覚えていたとしても、それが今だったのかそれともかつて一度だけ考えたものなのかわからず、またなぜある考えは一度考えてから何年も経ってふたたび考え、別の考えは一度考えたきり二度と考えないのかもわからないものとして。
 (リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』表題作、岸本佐知子訳)