24日/25日


 色々な人が言っているように、俺も今の繁華街のうす暗さが好きだ。外国の都市の夜の暗さを思い出す。ローマやパリ。ネオンが消された夜の池袋を歩いていて、街が暗いほうが、行きかう人が生き生きして見えることに気付いた。夜のローマやパリの街路を歩く人たちが生き生きして楽しそうに見えたのは、街が暗いからなのかもしれない。うす暗い夜のなかでは、近づくまで人の顔の表情が分からない。ディテールが見えない。うす暗さのなかから伝わってくるのは、弾むような息遣いや笑い声や足音(靴の種類や歩くテンポや重さ)、視覚でとらえる表情よりも繊細で、強調された、生のエネルギーに満ちた波としての表情だ。ふだん人は五感のなかで圧倒的に視覚に依存して生きているから、ネオンや街灯によって煌々と照らされた街では、人は暗さを奪われていると同時に、その表情から生気をも奪われている。
 …でも、あんまり暗いのが続くと、本当にヨーロッパみたいに治安悪くなるかもしれないから、怖いけど。俺は、品がなくてネオンギラギラで、ソフィア・コッポラくらいにしか素敵に撮影できない東京の繁華街も好きです。こう書くと、あの無駄な明るさがもう二度と戻ってこなくなったみたいで、記憶とフィルムのなかにしか残ってないような気持ちにもなって、少し悲しい。




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 ・1994年放送のNHKのドキュメンタリー『原発導入のシナリオ 〜冷戦下の対日原子力戦略〜』(45分)http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja#

 ・この番組を見て、読売新聞社主だった正力松太郎という人物のことを初めて知った。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8Eプロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる人物で、ウィキを少し読めば分かるとおり、怪物としか言いようがない。

 原発事故が起こってからネット上で見られる原発関連の動画はなるべく見るようにしている。とうとう行き着いたのがこの番組。被爆国であり、核アレルギーがあるはずの日本に、今どうして原子力発電所がたくさんあるのか、その歴史的経緯が赤裸々に説明されている。これを見て絶句した。と同時に、自分の無知を恥じた。日本の近現代史をきちんを学び直そうと思った。戦前も戦後も現在も、ずっとつながっている。以下はツイッターに書いた番組の内容と感想のまとめ。

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  1950年代に世界中で進んだ原発の開発は、東西冷戦下で、各国が米ソの核兵器ブロックに組み込まれることを意味した。アメリカのホワイトハウス原子力を輸出する(正確には、各国と原子力協定を結び核兵器を作らせない代わりに原発を作る援助をする、そして燃料となる濃縮ウランを輸出する)ために日本に送り込んだのが、ダニエル・ワトソンという人物。彼は、日本に原子力開発をさせるためには、新聞を押さえればいいことを知っていた。新聞もテレビも一つの資本の下に一体化した日本では、新聞さえ手中に収めれば日本人のマインドセットを変えることが容易であると理解していた。(つまり、それが日本の弱点であると、アメリカは正確に把握していた。)日本の共産化を危惧したアメリカに呼応し、「原子力平和開発 Atoms for Peace」を先導したのは、読売新聞社主の正力松太郎と、その右腕である日テレ重役の柴田秀利。正力は警察官僚時代に共産党を激しく取り締まった経歴がある。また、第五福竜丸事故などをきっかけに盛り上がる反米・左翼運動をなんとかしたいと思っていた。正力らの頭にあったのは、エネルギー不足が国を貧乏にし、ますます左傾化させてしまうということだった。つまり、「日本の共産化を防ぐ=原子力開発」という一点において、アメリカと日本のメディア王の利害が完全に一致し、読売グループが総力をあげて原子力発電技術推進のための一大キャンペーンを行ったということ。時の内閣と密接な関係を持っていた正力は、キャンペーン成功と同時に国政に参入、衆議院議員になりすぐに入閣を果たし、初代科学技術庁長官として官学民挙げての原子力開発体制を組織した。(ダニエル・ワトソン曰く、「正力が国政に進出した時、日本の科学者は地位を失うことを恐れて協力を断れなかった」)
  ってことは、この前セ・リーグが訳の分からない揉めかたをしてたのも、きっとこの歴史と無関係ではない。いまの原子力推進派の巨大な利益共同体は、正力松太郎から始まっているのだから、根は想像を絶するほど大きく、深いのだろう。そして、現在の東日本の状況は、東西イデオロギー対立が生んだ50年後の悲劇と考えるべきなのかもしれない。これから日本の原発をどうしていくか、日本中で議論になるだろう。そのときに、左翼は脱原発を唱え続け、経済界を中心とした保守(アカデミズムも含まれる)は原発推進を貫くと思う。「天然資源が無い日本では、エネルギー不足による経済の停滞が国全体の貧困化をもたらし、それが社会主義国家化につながる」という1950年代当時の危惧は今の原発推進派にも水面下で、あるいは無意識のレベルで受け継がれているはず。今実際に社会の中枢にいる人々、ある種の権力者たちは決してイデオロギー対立を抜け出すことができない。
  だからといって若い人たちイデオロギーから自由かと言えば、そんなわけはない。でも、いま無力な人間たちがこれからの日本を生きていく。いま無力な人間たちが、自分と自分の子どもや孫たちのために、原発が必要かどうか、マジで判断を迫られている。イデオロギーを超える可能性は個にしかない。日本がもはや中国やソ連のような国になる可能性が無くなった今、それでも原発反対を唱えるのは左派勢力だけなのだろうか。声を高くして推進するのは財界保守なのだろうか。終わってる。終わってるっていうことに気づくべきなのは、若い自分たち、いま無力な者たちの責任だっていう気がしてきた。
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  ツイートを転載するのはあんまりしたくなかったけど、このメモを、自分でこれからしばらく読み返したかったので、ここに残しておく。