KAAT×地点『悪霊』(2014年3月10日〜3月23日)パンフレット

友人があるときこっそりと私に言った。「ここ数年、選挙のあとは街ですれ違う人はもちろん、目の前の知っている奴までも憎たらしくてしょうがなくなる。」彼には、選挙結果が自分の思うのとはかけ離れていることに加えて、だいたい投票率が低いことも憎たらしいらしい。「目の前の知っている奴」である私までも憎たらしいと思われているのかもしれないと思ったら、彼の顔を見るのをちょっと躊躇したことを覚えている。しかし、私もそうだったが人はだいたいこういう時、「俺もそう思う」と言うだろう。なぜならば、相手はそもそも同意を求めるからこそ、それが許されていると思うからこそ、このような告白を口にしているのだから。何よりも彼は私にとっていい奴で、愛すべき人間だ。他愛のない世間話だが、話題が選挙だけに、ひと昔前だと私と友人は、「同志」ということになる。気がついたら「共闘」している。しかし、所詮、彼の顔を見るのに躊躇したくらいの私だから、やがて彼の疑心を招くだろう。それが誤解かもしれないのに、こんなにいい奴だと思っているのに、今でも愛しているのに、裏切りはやってくる。「挫折」だ。私たちはすでに妄想の中で挫折している。およそ150年前のロシアでこの妄想に取り憑かれた人々がいる。彼らは私の友人だ。当然、私は彼らの顔を正面から見ることができない。この大きな躊躇が私の『悪霊』なのです。
三浦基