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 このような異常な現象の発生は、全体としての婚姻交換システムが根本的な破綻に瀕していることを示しており、現状分析の前にその本質的要因を把握する必要がある。第一に、システムが動揺させられたのは婚資を通じてなのであった。というのも婚資がシステムの支柱をなしていたからである。実際、第一次大戦後のインフレに伴って、家産の一部としての婚資と、結婚する者に対する贈与としての婚資の間の等価性がもはや維持できなくなった。「戦後、『狂乱物価』は落ち着きを取り戻すじゃろうと思われておった。1921年頃にゃ、物価が低下し始め、豚と牛も値下がりしたんじゃ。しかし、それはつかの間のことにすぎなかった。数ヶ月後には物価が再び上昇し始めた。それが本当の革命をもたらしたんじゃ。貯金だけで生活している連中は破産しおった。地主と分益小作農の間で、また小作農と地主の間でどれだけ多くの訴訟といざこざが起こったことじゃろうか。財産分割についても同じだった。ずいぶん前に結婚した次子たちも現在の相場で遺産を再評価することを望んだんじゃ。結婚で婚資はますます軽視されるようになっとる。今じゃ、婚資はほとんど重視されておらん。金にどれだけの価値があるじゃろうか。もっと多くを要求しなければならんのじゃ。1914年以前は2万フランだった土地が今じゃ、500万フランするんじゃ。今時、1万5千フランの婚資がなんぼのものじゃろうか、じゃから婚資なんてもんは、どうでもいいんじゃ」(P・L-M)。こうして、経済に対する婚姻交換の従属性は減少し、より正確には、この従属性はその形態を変えたのである。土地からなる家産によって定義される社会的ヒエラルキーにおける位置ではなく、社会的地位——より正確にはこれと関連したライフスタイル——の方がはるかに結婚と結びついているようにみえるのである。
 システムの経済基盤の動揺に加えて、真の価値逆転が到来した。まず第一に、最終的には相続権剥奪の権限にもとづいていた老人たちの権威が、あるいは経済的理由により、またあるいは教育と新しい思想の影響により弱体化することになったのである。子供たちに対して相続権剥奪の脅威を与えることで、自らの権威を堅持しようとした親たちは、自分の家族の離散を引き起こすことになった。若者たちが都市へと流出してしまったのである。このことは、かつては家に縛り付けられて親の決定を受け入れざるを得なかった娘にとりわけ妥当する。「今じゃ、いったいどれほどの娘が土地に縛り付けられているんじゃろうか。そんな娘はまったくおらんのじゃ。教育があれば、どんな娘も仕事を持っておる。娘っ子たちは、それがどんなもんじゃろうと、勤め人と結婚したがっておるんじゃよ。勤め人は毎日『給料 solde』をもらっておる。勤め人と結婚しなけりゃ、知識もなしに毎日(自分が)働かなければならん。昔はどうだったかって? いったいどこへ行くことができたっていうんだい。今じゃ、娘たちは家を出ることができるんじゃ。娘っ子たちは読み書きってものができるんじゃよ……」(J-P・A)。「娘っ子も若い男たちと同じくらい村を出て行くんじゃ。娘たちの方が抜け目がないことが多いんじゃ。そりゃあ教育のせいじゃ。もちろん、昔だって都市に働きに出される娘たちはおった。今の娘たちには勤め口がある。彼女たちはCAP(職業適性証)なんかを全部もっておるんじゃ……。昔は多くの娘たちが働きに出て、嫁入り支度のために少しの金を稼いだ後に戻って来たもんじゃ。今じゃ、戻ることもない。もう縫子になるような者もおらんのじゃ。教育があるから、娘たちは村を出たいときに出て行くんじゃよ」(P・L-M)。
 親の権威の弛緩と若者の新しい価値観への接触によって、家族は結婚の成立における積極的な仲介者としての役割を奪われた。それと同時に「仲人好きの人」(lou trachur)の介入はあまり見られなくなった。その結果、結婚相手探しは個人のイニシアチブに委ねられることになった。旧来のシステムでは「口説くこと」をせずに済ますことができたし、口説く技巧をまったく知らずにいることもできた。しかし今やすべてが変わってしまったのである。社会的紐帯の弛緩とともに、またとりわけ僻村集落における出会いの機会の減少とともに、男女の隔離が増大しただけなのであった。本来ならば、かつてないほど「仲介者」が不可欠なのであろうが、「若い者は昔よりもずっと『誇り』があるんじゃ(思い上がっているということ)。もしわしらが連中を結婚させようとすれば、連中はまったくばかげていると思うじゃろうて」(J-P・A)。一般的に、若年世代は旧来の文化的モデルをもはや理解していない。集合的規則によって支配される婚姻交換システムに、個人間競争の論理によって支配されるシステムが取って代わった。こうした背景においては僻村集落の農民はとりわけ無力なものとなっているのである。
 男女間の関係がまれであると同時に、あらゆる学習によって男性社会と女性社会とが隔離され、対立する傾向があるために、男女間の関係は自然さと自由さを欠いている。「娘っ子を惹きつけるために農民は結婚を約束したり、結婚をほのめかしたりしたんじゃ。男と女の間には仲間意識なんてないんじゃ。若い男と娘っ子との間じゃ、頻繁なやりとりなどはありゃせん。結婚が餌の役割を果たすんじゃ。昔ならそれもできたじゃろうが、今じゃ、うまくいかん。農民との結婚なんて二束三文になっちまった。連中は、もう娘っ子を惹きつけることもできんのじゃ」(P・C、32歳)。娘に近づき、話しかけるということさえ一大事なのである。子どもの頃から知り合いであるのに、そしておそらくそうであるがゆえに、ちょっとしたわずかばかりの接近でさえ重大な意味を有することになる。こうした接近が、無視と相互排除の関係を突然にうち破るからである。青年の戸惑いとぎこちなさに対して娘の愚かしい微笑と困惑した態度が応える。彼らは対話を促すような身振りと言葉のモデルの総体を欠いているのである。その上、最も月並みな出会いに対してさえ、後戻りできないような重大な関わり合いを見てしまうような、男女関係を観察し判断する風評が存在する。若い二人について「あの二人は話をしていた」と語られる場合、このことは彼らが結婚するであろうことを意味するようになってしまうのである。ここには中立的な関係は存在しないし、存在しえない。
(P・ブルデュー『結婚戦略 家族と階級の再生産』丸山茂・小島宏・須田文明訳 第1部「独身と農民の条件」)
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