この一節を読んで初めてワードと一太郎の違いを知った。
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「複数個の文字を配置するには二つの方法がある。一つは与えられた座標系内のそれぞれの座標値に文字を代入する方法であり、もう一つは文字をシーケンシャルに文字列として配置する方法である。表意文字の特徴を有する東洋系の言語では前者の方法が発達した。
 例えば日本の原稿用紙とは、同じ大きさの文字の座標系をあらかじめ宣言した上で視覚的位置を表すそれぞれの座標値に視覚喚起力の強い文字を埋めていくシステムである。一方表音文字の特徴を有する西洋系の言語では、後者の方法が発達した。例えばアルファベットの筆記体による文書とは、一次元的な音声をそのままシーケンシャルな同じ幅とは限らない音声記録文字の列として素早く紙面に定着していくシステムである。…(略)」
 私の父はパソコンのワードソフトが使いにくいと言っている。なぜかと聞くと、「文字の方が動くから」だという。最初は何のことか分からなかったが、つまりワードソフトは表音文字を想定した、線的な機能だからということだろう。「一太郎」や原稿用紙を使用していた父にとって、「桝目」の感覚がないワードソフトはおかしな機能なのだ。ワードは原稿用紙のようにあらかじめ文字を配置する場所が用意されておらず、文字を線的な連なりに想定しているので、文字を重ねるのと同時進行で配置場所が生まれる。文字を消すと同時に場所も消えてしまうので、後に続く文章は消えた文字の分だけ移動する。これが父のいう「文字の方が動く」現象だろう。
 私などはパソコンの文章作成ツールではワードしか使ったことがなかったので、諸々の使いにくさはすべて自分の機械音痴のせいにしていたが、こう考えると日本人の感覚としては父の方が正常である。「はじめに場所ありき」な表意文字と「はじめに文字ありき」な表音文字の対立を、中ザワはそのままビットマップとベクターでの対立と同様に見なしているのだった。
 中ザワは東洋語と西洋語の違いについてこのように述べている。
「よく、アルファベットは26文字なのに漢字は無数にあると比較されますが、むしろ本当は英語のwordに当たるものが漢字の一文字で、letterに相当するのは偏や旁のはずなのです。音声優位の英語ではそのwordすらletterを1次元上に配列しましたが、視覚優位の漢字では1文字の中身すら偏や旁を2次元的に配列したわけです」
 
 『中ザワヒデキの美術』(石井香絵、トムズボックス
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