17日



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 真夜中ごろ、私はベッドを抜け出て彼に電話をしにいった。電話を台所に運び、ドアを二つとも閉めた。母は眠りが浅く、夜通し目を覚ましていることもあり、夜は寝室のドアをいつも開けていた。閉じ込められるような気がして嫌だというのもあったが、自分の家の中のどんな音も耳ざとく聞きつけ、何か不審な音ではないかと疑い、ベッドに寝たまま何の音かと訝しみつづけ、ときには起きて音の正体を確かめに行くこともあった。だがたまに母が何の恐れもなく不安もなくぐっすりと眠り、家の中の音に気づかない夜もあって、その日も、この時間なら母はよく眠っていて音を聞かれることはないだろうと踏んだのだった。
 思いがけず私の声を聞いて喜ぶかと思いきや、電話に出た彼は無口でよそよそしく、ほとんど冷淡ですらあった。少しだけ話をして電話を切ったあと、私はそのまま台所のスツールに座り、なぜ彼はあれほど冷淡だったのだろうと考えた。落胆が胸に根をおろしかけたとき、電話が鳴った。私がでると、彼はすぐに謝った。先ほどとはうってかわって熱っぽく饒舌だった。さっきはすまなかった。そう彼は言った。私が遠くに行ってしまったという事実を何とか受け入れようと努力して、それがやっとうまく行きかけていた。そこに急に私の声を電話で聞き、私と話したものだから、今までの努力が無駄になる気がして動揺してしまったのだ、と言った。そして彼は私を愛していると言い、会いたくてたまらない、苦しいくらいだ、と言った。
 そのとき彼の声に混じって、母が廊下を歩いてくる足音が聞こえた。廊下との境のドアが開き、母の顔がのぞいた。皓々と照る台所の蛍光灯の下で見るその顔は寝起きで無残にむくみ、まぶしそうに目を細めているせいか、顔だちまで変わって見えた。何も知らずに滔々としゃべり続ける彼の声を、離した耳元に小さく聞きながら送話口を手でふさぐと、母が訊いた。「誰か亡くなったの?」
 (リディア・デイヴィス 『話の終わり』 岸本佐知子訳)