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 このように、一連の規制強化の背景には、挙証責任の逆転や脱工業的な価値観の台頭、政治プロセスへの市民参加などがあったわけだが、それらを大きく後押しした理念がある。「事前警戒原則(または予防原則:precautionary principle)」だ。
 事前警戒原則というのは、環境政策や公衆衛生政策の基本原則の一つだ。1970年代のドイツやスウェーデンの環境法で導入され、その後徐々に国際化し、92年の地球サミット(国連環境開発会議)では、気候変動枠組み条約や生物多様性条約などにも採用された。とくにEUでは80年代半ばから法的拘束力のある基本原則になっており、フランスでは憲法にもこの規定がある。
 最も一般的な定義としては、地球サミットの「環境と開発に関するリオ宣言」第15条に「事前警戒アプローチ」という言い方で、次のように定義されている。
  重大かつ不可逆的な損害が生じる怖れがある場合には、完全な科学的確実性が欠けていることを理由に、環境破壊を防止する費用対効果の高い予防的措置をとるのを延期すべきではない。
 ちょっと持って回った言い方だが、要するにこれは、さきに述べた挙証責任の偏りを是正する論理である。すでに水俣病のケースで見たように、環境汚染などの原因を科学的に証明するのはとても難しいため、対策をとる根拠として危険性に関する科学的証拠の確実性を追求しすぎることは、無策のまま被害を拡大させ、取り返しのつかない事態を招きかねない。これを「分析による麻痺(paralysis by analysis)」と呼ぶ。
 そうした悲劇を避けるために、「完全な科学的証明がないから対策はできない」という態度を排除しようとするのが事前警戒原則の主旨だ。場合によってはもっと強い表現で、「危険性に関する科学的証明に不確実性があっても対策をすべきである」「安全性について不確実性がある場合には対策をすべきである」といわれることもある。
 (平川秀幸著 『科学は誰のものか 〜社会の側から問い直す〜』)