27日




 クチロロの新作「CD」すばらしい。ライブには行けなかったけど。。
 フィーチャリングの女の人たちの声が、音楽としてつよい説得力を刻んでる。外部からのビートとして、意味として。それが密度の高い今のクチロロに、ある種の“成熟”をもたらしてる。聴き始めて1日目の感想をざくっというとそういう感じ。
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 (ロラン・バルト 『喪の日記』 石川美子訳)
 一九七八年三月六日
 わたしのコートはとても陰気なので、いつもつけていた黒や灰色のスカーフをすると、マムが見たら耐えられなかっただろうと思う。もうすこし色のあるものにしなさい、というマムの声が聞こえてくる。
 だから、はじめて、色のついた(タータンチェックの)スカーフをつける。

 一九七八年三月一九日
 Mとわたしは、逆のように感じている(仕事をしなさいとか、気晴らしをしなさい、世間に目を向けなさい、などとよく言われるのだが)。わたしたちは、仕事に追われて、忙しくし、外から刺激を受けて、外在化しているときにこそ、悲しみがもっとも大きくなる。内面性、静寂、孤独などのほうが、苦しみを少なくするのである。

 一九七八年三月二二日
 感情(涙もろさ)は過ぎ去るが、悲しみは残る。

      三月二五日
 昨日、ダミッシュに説明した。涙もろさは過ぎ去りつつあるが、悲しみは残っている、と。
――彼は言う。いや、涙もろさはもどってくるよ、今にわかるから。
 ゆうべ、ママンが死にかけているという悪夢をみる。わたしは取り乱して、泣きそうになる。