31日





 大晦日ジーパン洗ったり、今年最後の夕日を撮ったり、実家の玄関をザパーっと水洗いして過ごした。皆から褒められようと自動的に思っちゃう自分を、来年からはどうにかしたい。かなり変則的な生き方が始まってるから、それはもう無理だ。
 この前立ち読みした文春かなんかに書いてあった、酒井順子さんの連載の「『気の弱い女』はこの世に存在しない」って話がずっと気になってる。言い切られるとそうとしか思えなくなる。
 去年の今頃の日記を読み返したら、人の成熟=周囲の人との関係性が揺るがなくなること、について書いていた。社会が成熟すればするほど、人は未成熟でいることが許される、って話についても。
 私たちは、自分を取り巻く人たちとの関係をいつも問い直している。でもそれって苦しいことで、じゃあ揺らすとき期待しているものは何なのか、そこから微かな浮揚感が生まれること? 昼間さんの日記にあったブーヴィエの、「幸福」ではない「晴朗な浮揚」という言葉とは少し別種の、もっと卑近で治らない病みたいな問い直し。
 まあ、とにかく、お誕生日おめでとうございます。(毎年ちょっとフライング気味ですみません)。この前の日記からは、たしかに、不惑ってそういうことかって感じが少ししました。あと、自力大賞2位で光栄でした。
 安藤裕子が「問うてる」(『JAPANESE POP』)で繰り返し歌ってる「悲しみさえ 求めて」の「悲しみ」は、生きるために必要なものとして肯定されてて、それは「出会いと別れ」「イノセンスと喪失」っていう物語とはだいぶ違う、どうしても問うてしまう、成熟できないまま死んでいくかもしれない私たちについての話である。